個人邸「浮き壺」

マンハッタン、ニューヨーク
2018
21世紀は人が空に住む時代となった。私に与えられたミッションは、マンハッタン島のほぼ中心部に聳える超高層コンドミニアムの上階に位置する約700平方メートルの1フロアを和風空間として設計することであった。依頼者は現代美術のコレクターで、もちろん私の作品も所蔵している。私はこのコミッションを、建築家への依頼というよりも、アートのコミッションとして受け入れることにした。

近来、建築はアートへと近づき、アートは建築的になりつつある。しかし、そのハーモニーが美しい協和音を奏でるのを聴くことは少ない。建築のアートへの負い目、アートの建築への嫉妬が錯綜するのを私は目にする。しかしルネッサンスに目を向ければ、アンドレア・パラディオの設計になる《テアトロ・オリンピコ》は建築がアートであった時代を偲ばせてくれる。私はこの空間の設計にあたって時間を遡ることにした。

この空中に浮かぶ空間に立ってみると、四方が空に囲まれている。南側にはエンパイアステートビルが眼下に望まれ、その先にはマンハッタン島の先端部の向こうに水平線が広がる。北側には広大なセントラルパークの彼岸にコネチカットへとつながる地平線が見渡せる。私はふと、ある感慨に耽った。私は巨大戦艦の司令塔にいるような錯覚に囚われた。マンハッタン島は船のかたちをしているのだ。私は硫黄島戦史に登場する「戦艦ニューヨーク」を思い出した。戦艦ニューヨークは1912年進水、第一次世界大戦、第二次世界大戦に参戦、最後は硫黄島と沖縄戦に参戦、神風攻撃を受け破損、修復後1946年に退役している。私はこの戦艦の船橋に立っている自分を錯視し、この船が静かに時の海をわたって行くのを感じた。地球の自転に沿ってこの船は西から東へと流されているのだ。

全方向に大きな矩形の窓が連なり、地の果て、水の果てまでが見渡せるという風景、それは私にとっては長いあいだ私の仕事の一部であった。私はほぼ一生をかけて海の水平線を撮影しつづけてきたのだ。私はこの空中に浮かぶ空間が、私の《海景》作品と呼応するであろうという予感のもとに設計をはじめた。特に茶室と広いリビングルームには、矩形の窓を上下に二分割できる大きな障子を考えた。上部の障子を開けると、マンハッタン島の喧騒は視界から消え、室内空間そのものが完全に空中に浮遊しているように見える。

私はこの空間の和風化のために、すでに日本でもあまり使われなくなってしまった前近代の手法を取り入れることにした。それは樹齢1,000年を超す屋久杉(屋久杉は世界自然遺産に登録され今伐採が禁止されている)、古代天平期の日本の都、奈良の寺院で使われていた古材、中世室町時代の庭園に使われた石などである。
特に茶室には古材が多く使われている。私はこの茶室に「浮き壺」という名を付けることにした。この命名は12世紀に描かれた『源氏物語絵巻』の様式に従って名付けられている。壺とは小さな庭を意味し、たとえば、「藤壺」とは藤の木が植えられている庭に住む宮中の女性を意味し、「桐壺」とは桐の木が植えられた庭に住む女性を指す。さすれば、「浮き壺」とは空中に浮く庭をもつ部屋という意味につながるからだ。

実際に、茶室を出てリビングルームに入ると方形のミニチュア庭園が島のように設えられている。私は人工の極北となったマンハッタン島の空中に、失われてしまった自然を模型として再現することによって、その喪失を担保することにした。それは北面に俯瞰することのできるセントラルパークが自然の模型であるように、その模型がさらにミニチュア化された盆栽庭園となっている。

いつの日か、我々が自然から見放されるとき、この空間には在りし日の自然の面影が盆栽庭園として、また壁にかかる海景として残されているであろう。

杉本博司