帝国ホテル 京都

京都府
2026
建築と共鳴するデザイン

 設計が始まった頃、幸運にも大部分が解体される直前の弥栄会館を隅々まで見る機会に恵まれた。まさに弥栄会館の内装の最後を看取った瞬間でもある。多くの部分が時代と共に改修されていたが、開口部の意匠、照明や装飾類、床材等、落成した当時のデザインは残されており、時間を経た雰囲気と後期アールデコの様子を随所でうかがうことが出来た。フランクロイドライトが設計した2代目の帝国ホテル(1923年竣工)と弥栄会館(1936年竣工)の竣工時期には13年ほどの時間差があるが、タイルの扱いや水平要素としての屋根の扱いなど、当時多くの建築家が影響を受けたように、偶然にも設計者である木村得三郎の建築に、ある種の類似性や同時代性が感じられる。我々は設計に向き合うにあたり建築そのものが持っている時間、或いは時間から得られる風格と言っても良いものを、新しい空間に引き継ぎ、引き受けることが出来るだろうかと考えた。

 仕上げの方向性を決める一つのきっかけとして、貴賓室に残された芭蕉のレリーフが道標となった。芭蕉のレリーフは暖炉仕立てに施された下部の石と一対になっており、その石が、沖縄本島に近い沖永良部島で採れる田皆石であることがわかった。弥栄会館の竣工当時は、柳宋悦らによって芭蕉布をはじめとする沖縄周辺の民芸が多く紹介された時期でもあり、盆地である京都の冬は非常に寒く、温暖な南方への憧れが込められているようにも感じる。1970年代に閉山して現在では採ることが出来ない田皆石を、矢橋大理石がデッドストックとして保有していることがわかり、残されていた全てを1階の主要な部分に採用している。また、日本民藝館や益子参考館にあるような木の扱い、欅を主たる仕上げとして、どこか懐かしくて温もりのある風情を添えることが出来ないだろうかと考え、20世紀前半のデザイン的な感性を引用しながら、時間を縫い合わせるように素材を編集し空間を再構成している。

 外観を保存することの反動として、耐震を考慮した非常に太い柱や梁、開口部の位置によって決まる階高との関係で、各所の天井高は非常に低くなる。設計当初からの課題を空間的な魅力にするべく、特に水平方向の広がりを意識した。客室専用ラウンジには小さいながらも庭を設け、軒の低い駆け込み天井を内外に繋げることで、日本建築の手法でもある内外の連続を意識した構成となっている。落水荘に訪れたときに感じた天井の低さと外部との関係、駒沢の旧林愛作邸に見られる空間の大らかさ、居心地のよさに、ある意味でライト建築に後押しをしてもらったような感覚を持ちながら設計に向き合うことが出来たのではないかと思う。

 日比谷、上高地、大阪の三拠点で、歴史を刻んできた日本を代表するホテルが、古都、京都で新たな4拠点目のホテルを30年ぶりに開業させる。20世紀前半のある種の東洋趣味とモダニズムの融合のような感覚、ライト館と同時代性を持つ歴史的建築物が醸し出す風格、訪れた宿泊者が京都に居ると実感できること、多角形をモチーフとした家具類、我々はそれらの共鳴によって「古くて新しい」帝国ホテルらしさの創出を目指した。

榊田倫之